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名古屋地方裁判所 平成4年(ヨ)767号 決定 1993年5月20日

債権者

大重敏雄

右代理人弁護士

岡本弘

中根正義

債務者

中部共石油送株式会社

右代表者代表取締役

鈴木裕

右代理人弁護士

坂本哲耶

主文

一  債権者の申立てを却下する。

二  申立費用は債権者の負担とする。

事実及び理由

第一申立ての趣旨

債務者は、債権者に対し、平成四年七月一日以降本案の第一審判決言渡の日まで、毎月末日限り月額四三万五〇〇〇円の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

一争いのない事実

1  債務者は、申立外共同石油株式会社からタンクローリーで石油を発送する業務を受注しこれを請け負うことを目的とする株式会社である。

2  債権者は、平成二年七月二日から債務者の経理関係業務に従事してきた。

二争点

1  債権者は、被保全権利及び保全の必要性として、

(一) 債権者は、平成二年七月二日、債務者との間で、雇用期間を一年間とし、右期間中債権者が債務者の経理関係業務に従事し、債務者がこれに対して賃金を支払うことを内容とする労働契約を締結した(以下「本件第一期契約」という。)。

(二) 債権者は、平成三年六月三〇日、債務者との間で、本件第一期契約を更新し、雇用期間を同年七月一日以降一年間とし、右期間中債権者が債務者の経理関係業務に従事し、債務者がこれに対して賃金月額四三万五〇〇〇円を毎月末日までに支払うことを内容とする労働契約を締結した(以下「本件第二期契約」という。)。

本件第二期契約には、「契約の更新を行わない場合は、期間満了二か月前に双方のどちらかから通知する」旨を定めた条項(以下「本件更新拒絶条項」という。)が存在する。

(三) 本件第二期契約の期間満了二か月前に当事者双方から更新拒絶の通知はなされなかったから、本件第二期契約は本件更新拒絶条項により雇用期間を平成四年七月一日以降一年間とし、本件第二期契約と同一の内容で更新された(以下「本件第三期契約」という。)。

(四) よって、債権者は、債務者に対し、本件第三期契約に基づき、平成四年七月一日以降、毎月末日限り月額四三万五〇〇〇円の割合による賃金請求権を有しているが、債務者はこれを支払わない。

(五) 債権者は、債務者から支払われる賃金のみが生計の手段となっているから、保全の必要性も存在する。

と主張した。

2  これに対して債務者は、

(一) 本件更新拒絶条項について、①期間一年間の労働契約について期間満了時に更新することをあらかじめ予約することは、初めから一年を越える期間を定めたのと同じであるから、右条項は、一年を越える期間について労働契約を締結してはならないとする労働基準法(以下「労基法」という。)一四条に違反し無効である、②右条項は、期間満了二か月前までに更新拒絶の意思表示がない場合は自動的に契約が更新される趣旨ではなく、契約当事者に準備期間を与えるための努力条項に過ぎないと解すべきであり、債務者は債権者との間で平成四年六月末日の経過後本件第二期契約を更新する旨の合意をしていないから、債権者と債務者との間に労働契約関係は存しないと主張し、

(二) 仮に本件第二期契約が本件更新拒絶条項により本件第三期契約に更新されたと解されるとしても、

(ア) 本件第二期契約及び本件第三期契約は債権者を債務者の嘱託又は顧問とする民法上の委任契約に該当し、いつでも解除することができる(民法六五一条一項)ものであるところ、債務者は、債権者に対し、①平成四年五月二九日、債権者を同年六月末日限りで解雇する旨を予告する意思表示をした(以下「本件解雇予告1」という。)、②平成四年七月一六日、債権者を同年八月一五日限りで解雇する旨を予告する意思表示をした(以下「本件解雇予告2」という。)、

(イ) 本件第二期契約及び本件第三期契約が委任契約に該当しないとしても、本件解雇予告1及び2には次のようなやむを得ない事由がある(民法六二八条本文)、①債権者は本件解雇予告1及び2当時既に六四歳であって、債務者の従業規則上の定年である六〇歳を越え労働の適格性が逓減している、②債権者の事務能力は不十分であり、申立外共同石油株式会社(以下「共同石油」という。)に対する月次決算報告のための定例報告会議が遅れるなど事務処理が全般的に遅延した、③経理事務の内容にも誤りが多く、他人から誤りを指摘されても自分の意見に固執して反省しようとしない、④債権者には、税理士資格の有無及び中央大学商学部卒業の有無という経歴の重要な部分に虚偽又は疑義がある、

したがって、本件契約は、平成四年六月末日又は遅くとも同年八月一五日限りで終了しており、債権者と債務者と間に労働契約関係は存しないと主張するとともに、保全の必要性を争った。

第三争点に対する判断

一本件疎明資料及び審尋の全趣旨によれば、債権者は、平成二年七月二日、債務者との間で、雇用期間を一年間とし、右期間中債権者が債務者の経理関係業務に従事し、債務者がこれに対して賃金を支払うことを内容とする労働契約(本件第一期契約)を締結したこと、債権者は、平成三年六月三〇日、債務者との間で、本件第一期契約を更新し、雇用期間を同年七月一日以降一年間とし、右期間中債権者が債務者の経理関係業務に従事し、債務者がこれに対して賃金を支払うことを内容とする労働契約を締結した(本件第二期契約)こと、本件第二期契約には、第一条に「雇用期間は、平成三年七月一日から平成四年六月末日までの一年間とし、一年経過後双方協議により契約の更新を行う。契約の更新を行わない場合は、期間満了の二か月前に双方のいずれかから通知する。」旨が定められていることが認められる。

そこでまず、本件第二期契約第一条の趣旨とその効力について検討する。

1  債務者は、右条項のうち契約更新を行わない場合についての定め(本件更新拒絶条項)は、期間満了二か月前までに更新拒絶の意思表示がない場合は自動的に契約が更新される趣旨ではなく、契約当事者に準備期間を与えるための努力条項に過ぎないと主張する。

確かに、契約の更新は雇用期間経過後に契約当事者双方の協議により行う旨の本件第二期契約第一条前段の定めと本件更新拒絶条項とは、その規定内容に矛盾が存在するとも考えられる。

しかし、本件更新拒絶条項は、契約当事者双方に右契約期間満了後に備えた準備期間を与えることにその趣旨があるものと理解されるのであって、労基法二〇条が労働契約の解消に最小限三〇日間の解雇予告制度を定めていることを考えると、右趣旨を軽視することは許されないというべきであるから、本件第二期契約の更新拒絶には右契約期間満了二か月以上前にその旨の通知がなされなければならず、期間満了二か月前までに更新拒絶の意思表示がない場合は自動的に右契約が更新される趣旨であると解するのが相当である。

本件第二期契約第一条前段の定めは、更新された契約の具体的内容は契約期間経過後に契約当事者双方の協議により改めて定める旨を注意的に明らかにしたものと解すべきである。

したがって、債務者の右主張は採用しない。

2  また、債務者は、本件更新拒絶条項は労基法一四条に違反し無効であると主張する。

確かに、更新拒絶に期間満了二か月前の事前告知を要することとすると、右事前告知をしない場合には実質的に一年二か月の期間契約の拘束を受けることとなり、一年を越える期間について労働契約を締結してはならないとする労基法一四条の規定に反するように見える。

しかし、右条項の趣旨は、長期の労働契約による人身拘束の弊害を排除することにあるのであるから、使用者側から本件更新拒絶条項の存在を理由に契約の更新を主張する場合は格別、労働者の側から本件更新拒絶条項の存在を理由に一年間を越える期間について契約関係の存在を主張することは労基法一四条の趣旨に何ら反するものではないというべきである。

したがって、労務を提供している債権者から本件第二期契約の更新を主張している本件の場合には、労基法一四条違反の問題は生じないから、債務者のこの点に関する主張もまた採用することができない。

3  そうすると、債務者が本件第二期契約の期間満了二か月以上前に更新拒絶の事前告知をした事実が認められない本件においては、本件第二期契約は、本件更新拒絶条項により契約期間を平成四年七月一日から平成五年六月三〇日までの一年間とする本件第三期契約に更新されたというべきである。

二ところで、債務者は、本件第二期契約が本件第三期契約に更新されたとしても、右第三期契約の期間の途中で債権者を解雇する旨の意思表示をしたと主張するので、右解雇の効力について検討する。

1  まず、債務者は、本件第三期契約は債権者を債務者の嘱託又は顧問とする民法上の委任契約に該当し、いつでも解除することができるものであると主張する。

確かに、本件第二期契約(本件第三期契約は本件更新拒絶条項により本件第二期契約と同一の内容で更新されたものと解される。)締結の際に作成された「労働契約書」と題する書面(<書証番号略>、なお、右書面には債権者の押印がないが、<書証番号略>によれば債権者も右書面の内容を承認していたものと認められる。)によれば、平成三年六月三〇日、債権者の給与は一時金を含めて年総額五二二万二〇〇〇円とし、その支給は年総額を四分割して九月、一二月、三月及び六月の各月末に支給すること及び就労に関する細則は「事務職員中途採用嘱託制度内規」(<書証番号略>)によることが合意されたことが認められ、また、<書証番号略>によれば、原告の源泉所得税は一〇パーセントとし、他の従業員とは異なる処理をしており、これを債権者も了解していたこと、債務者においては、債権者に対する報酬の支払は人件費としては計上せず、雑費として計上しており、債権者の申し出により雇用保険の被保険者資格の喪失手続をしたことが認められる。

しかし、債権者に適用されるものとされた事務職員中途採用嘱託制度内規(以下「本件内規」という。)によれば、欠勤は一日につき月額の二三分の一相当額を減額し、労働日数が月毎の所定日数に満たないときも同様とする旨定められていること、社会保険、健康保険、厚生年金保険、労働・雇用の各保険及び福利厚生施設の利用等はすべて一般社員に準ずるものとされているほか、本件内規に規定されていない服務・規律に関する事柄はすべて一般従業員に適用される債務者就業規則によるものとされていることが認められ、<書証番号略>によれば、実際にも、債権者に対しては、一般従業員に対するものと変わらない出退勤管理がなされており、債務者としても、債権者の勤務形態については義務として雇用保険に加入すべき実態にあるもの考えていたことが認められるから、本件第二期契約及びこれと同一の内容で更新されたものと解される本件第三期契約は、いずれも労基法の適用のある民法上の雇用契約に該当するものと解するのが相当である。

したがって、債務者が一年間の期間の定めのある本件第三期契約を中途解約するためには、民法六二八条本文により、「やむを得ない事由」が存在することが必要であると解されるのであって、民法六五一条一項に基づきいつでも解除することができるとする債務者の主張はこれを採用することができない。

なお、本件第三期契約に労基法の適用があると解される以上、前記認定のような債権者に対する給与の支給を年四回とする合意は、労基法二四条二項に違反して無効であるといわなければならない。

2  そこで、次に本件解雇予告1及び2について判断する。

(一) まず、平成四年五月二九日、債務者が債権者を同年六月末日限りで解雇する旨を予告する意思表示をした事実(本件解雇予告1)は、これを認めるに足りる疎明資料が存在しない。

<書証番号略>によれば、平成四年五月二九日、債務者の代表者が債権者に対し、本件第二期契約が同年六月三〇日で満了となること及び債権者が望むなら本件第二期契約を同年九月末日までの三か月間更新してもよいことを告げたことが認められるが、債務者代表者の右発言は未だ労基法二〇条にいう解雇予告の意思表示であるとは解されない。

(二) <書証番号略>によれば、債務者は、平成四年七月一六日、債権者を同年八月一五日限りで解雇する旨を予告する意思表示をした(本件解雇予告2)事実が認められる。

右認定に反する債務者の陳述書(<書証番号略>)の記載内容は、<書証番号略>の記載内容に照らしてこれを採用することができない。

(三) そこで、債務者の主張する本件解雇予告2の理由について検討する。

(1) 債務者は、本件解雇予告2の理由として、①債権者は右解雇予告当時既に六四歳であって、債務者の従業規則上の定年である六〇歳を越え労働の適格性が逓減していること、②債権者は事務能力が不十分であり、共同石油に対する月次決算報告のための定例報告会議が遅れるなど事務処理が全般的に遅延したこと、③債権者の行った経理事務の内容には誤りが多く、他人から誤りを指摘されても自分の意見に固執して反省しようとしないこと、④債権者には、税理士資格の有無及び中央大学商学部卒業の有無という経歴の重要な部分に虚偽又は疑義があることを主張する。

(2) <書証番号略>によれば、債務者の就業規則上従業員の定年は満六〇歳と規定されている一方、<書証番号略>によれば、債権者は昭和二年一二月二九日生まれであることが認められ、本件解雇予告2当時債権者は債務者従業規則上の定年である六〇歳を越える満六四歳であったことが明らかである。

しかし、就業規則上の定年は、債務者の人事管理又は給与体系等のさまざまな理由によって定められているのであって、人間は満六〇歳を過ぎると労働の適格性が逓減すると一般的に断定することはできないというべきであるし、仮に満六〇歳を越えた人間は労働の適格性が逓減するという一般的経験則が存在するとしても、本件のように、本件第一期契約の締結及び更新当時既に満六〇歳を越えていた債権者をその事実を知悉しながら採用したという場合には、債務者としては、債権者の年齢に関わりなくその労働能力は六〇歳未満の者と何ら遜色がないものと評価して債権者の採用を決定したものと認めるのが合理的であるから、債権者の年齢上その労働の適格性が逓減していることを本件解雇予告2の理由とすることは合理性を欠くというべきである。

(3)  また、<書証番号略>によれば、債務者の主張する債権者の事務処理の遅延や経理事務内容の誤りは、本件第一期契約の締結から約一年一〇か月が経過し本件第二期契約における更新拒絶告知期限でもある平成四年四月末日までには既に判明していたものと認められるにもかかわらず、本件疎明資料及び審尋の結果によれば、債務者は右期限までに債権者に対する更新拒絶の意思表示をしていないことが認められるばかりでなく、平成四年五月二九日、債務者の代表者は債権者に対し、債権者が望むなら本件第二期契約を同年九月末日までの三か月間更新してもよいことを告げたことは前記認定のとおりであって、右認定事実に照らすと、債権者に債務者の主張するような事務処理の遅延や経理事務内容の誤りが本当に存在したのかどうか又は仮にそのような事実が存在したとしても、債務者が右事実を債権者を解雇しなければならない程重要な事実と考えていたのかどうかについては疑問を差し挾まざるを得ないというべきである。

したがって、この点に関する債務者の主張もまた採用することができない。

なお、債務者の代表者は、<書証番号略>の陳述書の中で、平成三年五月ころ、債権者が不正まがいのことをしてでも当初約束していない賞与の支払を要求してきたので、債権者に対し重大な不信感を持った旨述べているが、もしそうであれば、なぜその後の平成三年六月三〇日に債権者との間で本件第一期契約を更新して本件第二期契約を締結するようなことをしたのかが理解できないというべきであるから、この点に関する債務者代表者の右陳述も採用することができない。

(4)  ところで、<書証番号略>並びに審尋の結果によれば、債権者は、本件第一期契約を締結する際、債務者の採用担当者に対し、中央大学商学部経営学科を卒業している旨告げていたこと、本件仮処分の審尋手続の当初、債権者は税理士資格を有している旨述べていたこと、しかしながら、債権者が中央大学商学部第二部又はこれに併設されていた経理研究所の簿記・会計等の講座を受講していたことは窺われるものの、中央大学商学部の卒業資格を有する確たる疎明資料を提出することはできず、また、税理士資格を有していないことが審尋手続きの途中で判明したことが認められる。

しかし、債務者の主張するように、債権者が本件第一期契約の締結当時から債務者の採用担当者に対して税理士資格を有している旨述べていた事実は認め難いし(右事実の存在を陳述する<書証番号略>は、<書証番号略>の記載内容に照らし採用することができないし、債権者が採用当時債務者に対して提出した履歴書である<書証番号略>の免許・資格欄には普通運転免許を有する旨の記載しかないところ、債権者が採用面接時に右運転免許よりもはるかに就職に有利な資格と考えられる税理士資格を採用担当者に対して告げていたとすれば、採用に当たって重要な資料となる履歴書にその資格の存在を明記しないわけはないと考えるのが自然である。)、債務者が債権者を採用するに当たって債権者が税理士資格及び中央大学商学部の卒業資格を有することを重要な採用決定の要素と考えていたとも認め難い(右事実の存在を陳述する<書証番号略>は、<書証番号略>の記載内容に反するのみならず、債務者が作成して人材銀行に提出していた求人カード(<書証番号略>)の「必要な条件」欄には、「高校卒業以上、経理関係管理者として経験三年以上を希望」としか記載されていないことに照らしてもこれを採用することはできない。)。

また、債権者が税理士資格及び中央大学商学部の卒業資格を有していないことによって、担当していた債務者の事務遂行に重大な障害を与えたことを認めるに足りる疎明資料がないことも前記説示のとおりである。

したがって、債権者に自己の経歴について虚偽を述べた事実があるとしても、それが解雇事由に該当するほど重大なものとは未だいえないというべきであるから、これをもって本件解雇予告2の理由とする債務者の主張もまた採用することができない。

(5) 以上のとおり、債務者が、本件解雇予告2の理由として主張する事由は、未だ民法六二八条本文の定めるやむを得ない事由には該当しないというべきであるから、右解雇予告はその要件を欠く無効なものといわざるを得ない。

三進んで保全の必要性について判断する。

1  まず、前記認定事実によれば、本件第三期契約は、平成四年七月一日から平成五年六月三〇日までの一年間をその契約期間とするものであり、また、本件第二期契約と同様の本件更新拒絶条項を有するものであるところ、債務者は、本件第三期契約における更新拒絶告知期限である平成五年四月末日以前の平成四年五月二九日には、債権者に対し、更新拒絶の意思表示をしたことは前記認定のとおりであるから、本件第三期契約は、本件更新拒絶条項により、平成五年六月三〇日をもって期間満了により終了したことが明らかである。

したがって、債権者の本件仮処分申立てのうち、平成五年七月一日以降について賃金の仮払いを求める部分は、その余の点を判断するまでもなく理由がない。

2  また、<書証番号略>によれば、債務者は、平成四年八月一四日、同月一五日分までの賃金に相当する金員を債権者に対して支払っていることが認められるから、債権者の本件仮処分申立てのうち、平成四年七月一日以降同年八月一五日までの期間について賃金の仮払いを求める部分は、その余の点を判断するまでもなく理由がないことが明らかである。

3  ところで、債権者は、債務者から支払われる賃金のみが生計の手段となっていると主張する。

しかし、債権者は、本件解雇予告2当時既に満六四歳であり、平成四年一二月二九日には満六五歳に達することは前記認定事実のとおりであるところ、<書証番号略>から認められる債権者の職業経歴からすると、債権者は既に厚生年金保険法又は国民年金法に基づく老齢年金の受給権を有していることが認められるから、債務者から支払われる賃金のみを唯一の生計の手段とする賃金労働者であるとは認め難く、右賃金の支払が閉ざされると直ちに生活に困窮するとの推認は原則としてできないというべきである。

ところで、債権者は、保全の必要性の疎明資料として<書証番号略>を提出するが、その内容は数字を羅列するのみで何らの裏付けも具体性もないばかりでなく、人事院から発表された平成四年四月における全国の二人世帯の標準生計費が一七万五九四〇円であることに照らすと、妻と別居し名古屋市のアパートで一人住いをしている債権者に、月額四〇万円に上る生活費を緊急に保全する必要性が存在するとは考え難い(ちなみに、債権者が債務者に対して提出した履歴書(<書証番号略>)には、給与額として手取り三〇万円を希望する旨記載されている。)から、<書証番号略>の記載内容を直ちに採用することはできないというべきであるし、<書証番号略>及び審尋の結果によれば、大阪府八尾市の自宅に居住している債権者の妻は、舞台衣装の製作等を営業内容とする株式会社に勤務し、平成四年度の給与収入として三九一万を得ており、債権者の扶養家族とはなっていないこと、債権者の子も既に独立して扶養の必要性は消滅していることなどの事実が認められ、これらの事実を総合考慮すると、債権者について、平成四年八月一五日以降平成五年六月三〇日までの期間に債務者から支払われるべき給与収入を緊急に保全しなければならない必要性を認めるに足りる資料はないといわざるを得ない。

したがって、本件仮処分を求める必要性の観点からみて、債権者の主張は理由がないことに帰するというべきである。

四以上のとおり、債権者の本件仮処分申立ては、結局保全の必要性の疎明を欠き理由がないというべきであるから却下することとし、主文のとおり決定する。

(裁判官潮見直之)

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